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 総合心理科学科は2003年度に心理学科と教育学科が統合してできたのですが、その教育学科にはそれまで教育心理学専修と教育学専修の2専修がありました。旧教育学科は1948年文学部長であった今田 恵心理学科教授が、人間形成における教育の重要性を感じ、倫理学科を改組して教育学科を創設しました。
 主に教育心理学を専攻するコースを教育学科第2類と称するようになったのが1992年からであり、それをわかりやすく教育心理学専修に名称変更したのが1995年からで、1992年以前は教育学科は教育心理学と教育学の区別はありませんでした。
 1948年6月教育心理学関係の初代教授にシカゴ大学大学院を修了した大伴茂が就任しました。大伴教授はピアジェ理論を日本に紹介した研究者で、ビネー式知能検査の日本版(大伴ビネー検査)を作成した人物でもありました。教育心理学専修はスタートから、発達心理学と心理アセスメントが研究の中心であったのです。
 その後1958年大阪府立大学から武田正信助教授が就任し、職業指導や職業適性に関して研究する職業心理学のゼミが教育学科に誕生しました。1957年に助手に就任した篠置昭男は、当時文学部に設置されていた社会事業学科(1960年に社会学部として独立)の杉原 方教授とともに、そのころ大学教育では珍しかった病院臨床心理学を研究し、学生はロールシャッハテスト(関学法)を始めとする投影法検査を研究手段に用いることができました。なお1948年に大伴教授と共に教育心理学のコースを立ち上げた、当時の関西学院旧専門学校文学専門部から移った仲原禮三助手が、新制大学制定前からロールシャッハテストの研究を行い、教育学科はロールシャッハ研究の関西の拠点でもありました。今日の教育心理学専修の特色ある臨床心理学の基礎がこの時代に築かれたのです。
 大伴教授定年退職(1961年)後、武田教授はその後研究の方向を発達心理学に変え、教育心理学のゼミは発達心理学と臨床心理学になりました。武田教授の定年退職に伴い、1977年に就任した乾原正教授は心理アセスメントと臨床心理学を統合した発達心理学を教えました。また篠置教授は臨床心理学担当者として精神医学の専門家の必要性を痛感し、1983年小児精神医学が専門であった松本和雄教授を大阪府衛生部より招き、教育心理学専修に疫学的方法と生理学的方法が導入されました。
 篠置教授は1994年、松本教授は2004年、乾原教授は2005年に定年退職されましたが、このようにして臨床心理学、精神医学、発達心理学という今日の3本柱が完成したのです。

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